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旭川地方裁判所 昭和33年(わ)331号 判決

被告人 石井邦幸

昭一一・一・二一生 工員

主文

被告人を懲役二年に処する。

但し本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(事実)

被告人は、昭和三三年八月一五日午後一一時頃枝幸郡中屯別町市街北海道銀行前に設けられた盆踊場において予てより結婚の申込をしていたが確答を得られぬ侭になつていたA(当二〇年)が盆踊り中であるのを認め、同女に結婚を確約させようと考えて同女を誘い出し同町旭台日本貝化石工業所クレンザー工場附近に立到つたが、途中同女が被告人以外にも結婚の申込をされている相手があるかの如き口吻を洩らすので一旦情交を結んでしまえば同女も結婚を承諾するに違いないと考え同女に情交を迫つたところこれを拒まれるや強いて姦淫するも止むなしと決意し、矢庭に同女を傍の叢に仰向けに押し倒して馬乗りになり「声を出すな。声を出すと殺すぞ。」等と申向けて脅迫して同女の抵抗を抑圧し、そのズロースを剥ぎ取り強いて同女を姦淫したものである。

(証拠)〈省略〉

(強姦致傷罪の成否について)

検察官は判示事実につきその所見を異にし、姦淫行為の際被告人は被害者に対し全治三日間を要する左拇指挫創の傷害を負わせたものであるから、強姦致傷罪が成立する旨主張するので、その点につき判断を加える。クレンザー工場の手前約二〇米の地点において被害者が検察官主張の如き傷害を負つたことは各証拠に照らし明白であるが、強姦致傷罪は姦淫行為自体若しくはその手段たる暴行脅迫行為又はそれらに附随する行為により傷害の結果を生ぜしめた場合にのみ成立するものと解すべきであるから、その傷害が強姦の実行の着手前に生じたものであるならば強姦致傷罪は成立しないのである。そこで、強姦の実行の着手を何処で認めるべきかにつき、以下証拠によつて検討する。犯罪の実行の着手を認めるには、基本的構成要件に該当する行為の少くとも一部が行われたことが必要である。被告人の司法警察員に対する昭和三三年八月一六日付供述調書(以下単に被告人の司法警察員に対する供述調書と略称する)並びに被告人及びAの検察官に対する各供述調書を綜合すれば、被告人は被害者を踊り場から誘い出した後連れ立つて国鉄線路脇の砂利置場に赴き、其処で被害者に結婚の承諾を求めたがすげなく断わられ、又接吻を求めたがこれも拒まれた、被害者の手を把んで其処から線路づたいに踏切へ出、クレンザー工場の方へ行く道へ曲ろうとしたので、被害者が帰宅しようとすると、被告人は「もう少し歩こう」と言つて被害者の着物の袖を把んで放さないため、被害者も止むなく一緒にクレンザー工場の方へ歩いて行つたことが認められる。接吻の要求行為があつても、ここまでの段階では前後の事情に鑑み、強姦の実行の着手があつたことは到底認められない。被告人及びAの検察官に対する各供述調書によれば、被告人がクレンザー工場手前の道路上で被害者を姦淫しようとしてその頸に手を廻して押し倒したため、被害者は左手を突いて倒れ、その際本件傷害を負つたというのであるから、このとき強姦の実行の着手があり同時に致傷の結果を生ぜしめたものと認めうるかの如くである。しかし、実況見分調書によれば、その場所は小砂利が疎らに敷かれてる道路上であつて情交を結ぶには余り適当な場所ではないこと、証人前田利雄の証言及び斉藤錫雄の司法警察員に対する供述調書によれば、クレンザー工場横の叢に近づいて来た被告人及び被害者の様子からは、単にアベツクが来たなと思われる程度であつて、緊迫した情況にはなかつたことが明らかであり、又被告人は検察官の取調に際し始めて前記の自白をなしたものであること、被害者は捜査官の取り調べに際しては往往にして迎合的供述をなすものであること等を考え併せると、被告人及びAの検察官に対する供述調書中の前記供述記載の部分は信憑性に乏しく、却つて、証人前田利雄の証言及び斉藤錫雄の右供述調書に照らし、クレンザー工場横の叢に至り被害者に情交を迫つたがこれを拒まれたのでそこで始めて強姦行為に及んだ旨の被告人の司法警察員に対する供述調書中の供述記載により高い信憑性が認められる。以上のとおりであるから、判示事実のとおりクレンザー工場横の叢に至つて始めて強姦の実行の着手があつたものと認めるのを相当とし、従つて、検察官主張の本件被害者の負つた傷害は強姦の実行の着手前に生じたものであることが明らかであり、他に被害者が傷害を受けた事実を推認させる証拠が存しないから、強姦致傷罪の成立は認められない。

(傷害罪の成否について)

次に、被害者の負つた本件傷害の結果につき、被告人に傷害罪の成立を認めえないかが問題になる。被告人の司法警察員に対する供述調書によれば、被害者が何かに躓いて転倒し、その際本件傷害を負つたものであることが認められ、これに反する被告人及びAの検察官に対する各供述調書中の供述記載部分の措信できないことは先に判示したとおりであるから、右の各供述調書を綜合すると、クレンザー工場へ向う道路上を被告人が被害者の着物の袖を把み或は腕を抱えて歩行中に被害者が傷害を負つたものではあるが、被害者が転倒して負傷するということは被告人の右所為から通常生ずべき結果ではなく、寧ろ被害者が何かに躓いたという偶然的な事情に基いて発生した結果であると認められるから、被告人の右所為と本件傷害の結果との間には相当因果関係は存しない。よつて、傷害罪の成立も認められない。

(適条)

被告人の判示所為は刑法第一七七条に該当するもので、所定刑期の範囲内で被告人を懲役二年に処するが、諸般事情を考慮し同法第二五条第一項に従い本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 星宮克己 金沢英一 太田実)

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